Transporter Beer Magazine Special Story

8月24日から9月2日まで10回に渡り連続でお届けしました「僕とクラフトビールの20年」、本誌編集長 田嶋伸浩がクラフトビールに出会い「TRANSPORTER」を発行するまでの青春物語になっています。

1回づつが短編なこともあり、ささっと読めた反面、まとめて読みたいと言う声も届きました。そこで、一気読みのための総集編としてまとめてみました。是非是非 再読ください。 

  

DEAD GUY ALE 

Transporter Beer Magazine 特別編 編集長の夏休みの思い出と、なぜか?クラフトビール。

10回連続でお届けする、「僕とクラフトビールの20年」。

クラフトビールの仕事を始めようと思ったことは、一度もなかった。

少なくとも、最初から「これを仕事にしよう」と思っていたわけではない。振り返ってみると、きっかけはもっとずっと前にあった。 高校生の頃の夏休み。 スノーボード。 アメリカ。 古着。 洋服。 旅。 そして、なぜかいつもそこには、一枚のかっこいいビールラベルがあった。

  それが何だったのかを知るのは、ずっと後のことだった。

これは、僕がクラフトビールに出会うまでの話。 そして、気がつけばその世界に30年以上もいることになった、少し長い「夏休み」の話です。

 すべては、スノーボードと「ドクロのビール」から始まった。

photo by transporter

1990年代後半。 高校1年生の頃からスノーボードを始めた。

高校3年生になっても、受験勉強なんてほとんど頭になかった。

近所のスノーボードショップに毎日のように入り浸り、汗だくになりながら一人で技の練習をしていた

そんなある日、店の人から「バイトしてみない?」と声をかけてもらった。

人生で初めてのアルバイトだった。 板のセッティング。 ワックスがけ。

ボードやウェア、ブーツの販売。 少しずつ仕事を覚えていくのが楽しかった。

そして18歳の頃。 初めてアメリカへ行く機会がやってきた。

行き先はオレゴン州。 Mt. Hood。 サマーキャンプだった。

PHOTO BY ME

山の麓のロッジを借りて、朝からスノーボード。 昼過ぎにはスケートボード。  ポートランドへ買い物に行き、夜はビリヤード。 

2週間なんて、あっという間だった。

そのとき、先輩たちが買っていたビールが、やたらと格好よく見えた。

Budweiser。

Coors。

そして、スーパーで何度も目にした、ドクロの描かれたビール。

当時は、それが何なのか全く知らなかった。

ただ、 「なんか、このビール、格好いい。」 それだけだった。

それまでの僕にとって、アメリカは、 「広い!」 「自由!」 「服も靴も格好いい!」 そんな場所だった。 初めて海外でトラブルを経験した。

結局、そのまま2週間滞在することになった。 幸い左膝の靱帯断裂だったので、松葉杖と車があれば動くことができた。

みんなが朝からスノーボードに行っている間、僕は街へ出た。

写真はイメージ

「クラフトビール」なんて言葉は知らない。 ビールのスタイルも知らない。

服、靴、スーパーマーケット、グロッサリーストア。

そこで また目に入ってくるドクロマークのビール。

ただ、 「このビール、格好いいな。」 それだけだった。飲んだビールはまずかった。

でも、なぜか買っていた。

その翌年。 またオレゴンへ行った。 

当時は、確か1ドル80〜100円くらい。 今では考えられないほど円が強かった。

洋服。 靴。 おもちゃ。 スノーボード。 何もかもが安く感じた。

アルバイトをしていた店から仕入れを頼まれ、買ってきた服や靴を日本で販売したこともあった。 オレゴン州は消費税がない。 スノーボードの板を何十枚も買った。 今思えば、本当にいい時代だった。 そして、ついに手に取った。 あのビール。 Rogue Dead Guy Ale。 何年もスーパーで見ていた、あの格好いいラベル。 6本セットを買った。

そして一口。

「……苦い。」

それが最初の感想だった。 それでも、買った。 美味しくないのに。 なぜかラベルが好きだった。

当時はBudweiserがケースで買えば、1缶30円くらいだった記憶がある。

ビール自体を「美味しい」と思っていたわけでもない。それでも、Dead Guy Aleを買った。

今思えば、ここが最初の一歩だったのかもしれない。

まさか約20年後、それを仕事にすることになるとは。 当時の僕が知るはずもない。

ちなみに、当時はなりたかった職業は建築設計士だった。ただ〈ものづくり〉が好きだったから。

初めは美味しいと思わなかったクラフトビール、しかし 徐々に「格好いいビール」に変化していく。

photo by transporter(old photo sorry)

昼は建築、夜はスノーボードショップ。

学校を卒業してからも、約2年間スノーボードショップで働いた。

昼は建築設計事務所。 朝8時から17時まで図面を書く。 週5日働き、休みは週2日。 夏休み、春休み、冬休みもある。 そして夜。 18時から24時までスノーボードショップ。

土日は山へ。 シーズンに入れば毎週スノーボード。 そんな生活を2年間続けた。

その間も、アメリカへ行く機会があった。 LA。 ハワイ。 ポートランド。 そして、またビールを買う。 最初は「格好いいけど、苦くてよく分からない飲み物」だった。

ところが、ある時から少しずつ変わってきた。

「……あれ?」

「これ、美味いな。」

ビールが少しずつ分かってきた。 とはいえ、IPAという言葉も知らない。

クラフトビールという言葉も知らない。

ただ、海外で見つけた「格好いいビール」に惹かれていた。 不思議なことに、その出会いはいつも夏だった。

カナダへ。

ビールより、人生が分からなかった。  

1999年の夏。

昼は建築士、夜はスノーボードショップという生活が終わった。 建築士を一生続けられるのか?

そんな疑問を抱えていた。

その頃、海外に住んでみたいと思うようになった。 そして、カナダのワーキングホリデーに応募した。

当選。

人生は、意外と勢いで変わる。 バンクーバーへ向かった。

家は事前に借りることができた。 でも、電気、テレビ、電話の契約ができない。 英語が分からない。 電話では完全にお手上げだった。

毎日通って、3日目くらいにようやく契約できた。

その後、車も買った。 確か2,600カナダドルくらいだったと思う。

朝7時。スノーボード。

夜12時頃に帰宅。酒を飲む。少し寝る。

雪が良ければ、また山へ。 今思えば、かなり無茶苦茶な生活だった。

その頃、地元のブルワリーにも行った。 ピザとビール。 でも、まだクラフトビールだとは思っていなかった。 大手のビールCanadianやKokaneeのほうが美味しい。 IPAは、ただ苦いだけ。 今思えば、完全に「ビールのお子ちゃま」だった。

円高と、世界一長い夏休み。

photo by transporter

円高と、世界一長い夏休み。

ワーキングホリデーの1年が終わっても、すぐには帰国しなかった。

観光ビザに切り替え、そのまま半年。働かず。 スノーボード。

スケートボード。 酒。 友達。 遊ぶ。若かったからできた生活だった。

そして、アメリカへ行く機会が増えた。シアトル。 アイダホ。 オレゴン。

Mt. Hood。 メキシコ。 フロリダ。ディズニーワールド。ニューヨーク。

ニューヨークのSupremeへ買い物にも行った。 円高(Yen Appreciation)だった。

photo by transporter

今考えると、とんでもなく贅沢な時代だった。

その旅の途中でも、ビールを買った。 まだクラフトビールだとは分からない。

ただ、 「これ、格好いい。」 それだけ。 StoneやVICTORYも、その一つだった。

知らない。でも飲んでみる。苦い。

でも、また買う。 この繰り返しだった。

帰国、そして 就職。自分の中では人生で一番「何をしたいのか」が分からない時期だった。

photo by transporter

でも、カナダでの生活がなかなか抜けない。

以前働いていたスノーボードショップへ行ったり、Macintoshを買ってデザインをしたり。

LAへ行って、サーフボードやTシャツを買ったりのバイヤーという名の旅行。

半年くらい、そんな生活を続けた。そして、 「働かないと、さすがにまずい。」 ようやく就職したのが、ファーストリテイリング。 ユニクロだった。

週5日。 週2日休み。 毎日、フリースや衣類を畳んだりジーンズの裾上げしたりして、普通の生活。

でも、自分の中では人生で一番「何をしたいのか」が分からない時期だった。

それから埼玉の東川口から目黒区へ引っ越したのも夏だった。 日本ではまだクラフトビールという言葉は、今ほど知られていない。 アメリカへ行けば、Kona。 Miller。 Bud Light。 そして、やっぱり「格好いいビール」を探していた、まだクラフトビールとも知らない時期。

初めて「クラフトビール」という言葉につながった瞬間   

photo by transporter

Brooklynで友人の家に居候をしている1ヶ月間で、初めて「クラフトビール」という言葉につながった。そのきっかけはBrooklyn Lager(ブルックリンラガー)でもあった。

目黒に引っ越して、生活がまた変わった。 夜22時から朝8時まで、中目黒駅近くの松屋で働く。 昼間は寝る。 午後から友人のアパレルブランドの事務所へ。 服を作る。 グラフィックを作る。 Macintoshでデザインする。 そんな生活を1年間続けた。

そして、東京へ出てきて1年。 アパレルブランドを立ち上げることになった。 その後、ヨーロッパへも行くようになった。

パリ。 オランダ。 ニューヨーク。 そしてBrooklyn。 友人が住んでいたBedfordへ。 昼は服や古着。 夜はビールとパーティー。 そこで飲んだのがBrooklyn Lagerだった。

毎日のように飲んだ。 ある日、友人が言った。 「そんなにビールが好きなら、近所に新しいブルワリーができたから行ってみれば?」 行ってみた。 Red Hookエリアにあった Sixpoint Brewery。

一人で歩いて、バスに乗って、ブルワリーの門を叩いた。

すると、ブルワーが出てきた。 ツアーをしてくれた。 そして、 「仕事終わったら、みんなで飲まない?」 と言われた。 4人で飲んだ。 そこで初めて、いろいろな話を聞いた。 「うちのビールも美味い。でも、他にも美味しいブルワリーはたくさんある。」

「Coloradoへ行ったらOscar Bluesを飲んだほうがいい。」

「Stone」

「Victory」

「Dogfish Head」

今でも覚えている。そして、その時に初めて気づいた。

初めて理解した「ローカルビール=クラフトビール」。

https://blindtigerchs.com/

それまで僕にとってビールは「格好いい飲み物」だった。この日から、少しずつ「文化」になっていった。さらに紹介されたのが、ManhattanのBlind Tiger。

翌日から、毎日のように通った。

スタッフに聞く。客に聞く。おすすめのブルワリーを聞く。

ビールの飲み方を教えてもらう。

そして、ある日。 スープとビールを合わせた。 

「スープとビール?」 と思った。 でも、飲んでみる。 美味い。 酸味と塩味。 温かさと冷たさ。 その組み合わせに驚いた。 この経験は、後々、自分のビールとの向き合い方に大きな影響を与えることになる。

先ず、両国のPOPEYEへ向かう。そして下北沢の「蔵くら」へ中目黒のBaird Taproomへ通った。

photo by TAJI

日本で、ビールを「探す」ようになった。

ニューヨークから帰国しても、頭の中からビールが離れなかった。 日本のクラフトビールを扱う店へ通うようになった。 最初に訪れたのが、両国のPOPEYE。 そして、下北沢の「蔵くら」(※)。 よく通った。

ベルギービール。 ドイツビール。 そして、日本のクラフトビール。中目黒のBaird Taproom。   

下北沢のうしとら。

その頃は、ヤッホーブルーイングの「よなよなエール」がハンドポンプで飲める時代だった。

YOHO Brewing Company. All Rights Reserved

頭の中はクラフトビール一色、それにしてももよく飲んだ

それもよく飲んだ。 少しずつ、日本にもこんな世界があることを知っていった。

そして、イギリスにも興味を持つようになった。

ニューヨークへ行って以来、毎年3週間くらいアメリカに滞在するようになった。

古着。 クラフトビール。 ブルワリー。 パブ。 国立公園。 アメリカを旅しながら、ビールを探した。

Google Mapsなんて、まだない。 地図を広げる。

スーパーへ行く。 見たことのないビールを買う。 美味しかったら、6パックの箱を見る。 そこに書かれている住所を見る。 地図で探す。 そして、そのブルワリーへ行く。 そんな旅だった。 今考えると、ものすごく原始的だった。 でも、楽しかった。 そして、やっぱりその旅の多くは夏だった。

(※)「蔵くら」下北沢の「蔵くら」は、1999年から約10年間下北沢で営業していた伝説的な地ビール専門店でした。2019年4月末で惜しまれつつ閉店しましたが、現在では本駒込で復活しています。

2013年 TRANSPORTER BEER MAGAZINE 創刊

そして、2013年。趣味だったビールが、仕事になった。  

振り返ってみると、僕は長い時間をかけてアメリカのクラフトビールを見てきた。

まだクラフトビールという言葉さえ 知らなかった頃。 「格好いい」という理由だけでDead Guy Aleを買った。 苦くて飲めなかったIPA。 少しずつ美味しいと思えるようになったビール。 Brooklyn Lager。 Sixpoint。 Blind Tiger。 Stone。 Dogfish Head。

そして、日本のPOPEYE、蔵くら、Baird、うしとら。 気づけば、毎年アメリカへ行っていた。

ブルワリーを訪ねる。 パブへ行く。 スーパーで知らないビールを探す。 少しずつ、クラフトビールの沼に沈んでいった。 当時のアメリカは、クラフトビールがものすごい勢いで成長していた。

気がつくと クラフトビール沼に沈んでいった。

今振り返っても、まさに「無双」の時代だったと思う。

そして2013年春。 「Transporter Beer Magazine」を創刊した。

当時の仕事はアパレルブランドとファッションスタイリスト。 クラフトビールは、まだ趣味だった。

「もっとビールのことを知ってもらいたい。

「こんな面白い世界があることを伝えたい。」

そんな思いで、自費出版のような感覚で3,000部を作った。

雑誌を抱えて、ビアバーを一軒ずつ回った。 最初の配布先は、30店舗くらいだったと思う。

中目黒 Baird Taproom。

両国 POPEYE。

新宿 Watering Hole。

茅ヶ崎 Hopman。

神田 DevilCraft。

 大阪 enibru。

下北沢 うしとら。

そのほかにも、本当にたくさんの店に置いてもらった。

ありがたいことに、創刊号から広告を出してくれる店もあった。 当時はまだ業界が狭かった。 だから、Transporterという名前もすぐに広がっていった。 ただ、創刊号は今見ると本当にひどい。

構成も下手。 誤字脱字も多い。 それでも、みんな怒らずに、温かく見守ってくれた。 

今でも感謝している。 そして、創刊してすぐに夏が来た。 またアメリカへ行った。 ブルワリーへ行った。 ビールを飲んだ。 写真を撮った。 人と話した。 また日本へ帰ってきた。 そんな日々が始まった。

この頃もまだ、自分ではクラフトビールを「趣味」だと思っていた。

まさか、その後20年以上、この世界にいることになるとは思っていなかった。

夏になると思い出す。

なぜか、僕の人生には夏が多いし、良い思い出より悪い思い出の方が多いけど夏になると少しのいいことから始まることが多かった記憶。 高校生の夏。 Mt. Hood。 スノーボード。 初めてのアメリカ。 ドクロの描かれたビール。 カナダ。 バンクーバー。 ニューヨーク。 Brooklyn。 Sixpoint。 Blind Tiger。 そして、クラフトビール。

あの頃は、それぞれが別々の出来事だと思っていた。

でも、今振り返ると全部つながっている。 一杯のビールから始まったわけではない。 一本のビールとの出会いが、すぐに人生を変えたわけでもない。

ただ、毎年の夏に少しずつ「知らないもの」に出会った。

そして、気がつけば、その積み重ねが「Transporter」になっていた。

だから今回は、夏休みの思い出を書いてみた。

クラフトビールの話をしようと思ったのに、気づけばスノーボードの話になっている。 人生の話をしているのに、なぜかビールが出てくる。 それが僕にとってのクラフトビールなのかもしれない。 そして、ここからが本当の意味で、僕がクラフトビール業界に入っていった時期になる。

photo by TAJI

続きは、また夏に。 Transporter Beer Magazine Special Story

THANK YOU 

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