3日連続の2日目はアメリカにおけるクラフトビールのルーツへ迫ります

Part.2

禁酒法が施行されると、アルコールの製造、販売と輸送は違法となったため、中小のビールメーカーの多くは廃業に追い込まれ、また大手によるM&Aが加速します。

その数は約1,400あったビール醸造所のうち生き残ったのはわずか200社程度でした。

この時代の各ビール会社が事業の存続のために吸収合併を繰り返したことで、体力のない 中小メーカーは淘汰、大手メーカーのビールが市場をほぼ独占するようになっていきました。

当然、アンハイザー・ブッシュなどの大手メーカーも経営に苦しみましたが、清涼飲料水や乳製品、その他の製品を製造・販売することで多角化し、この期間を生き延びたようです。

禁酒法の時代、その後のアメリカの歴史を変えたという3人のヒーローが現れます

ベーブ・ルース(George Herman "Babe" Ruth Jr., 1895-1948)打者としての生涯通算成績で、714本塁打、2213打点、2062四球、長打率.690、OPS( On-base Plus Slugging/出塁率と長打率を足し合わせた指標)1.164、本塁打王12回など、数々のMLB記録を打ち立てており、内最後の3つは2025年現在も破られていません。

リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh,1902-1974) プロペラ機による ニューヨーク-パリ間大西洋単独横断飛行

昭和6年(1931年)、リンドバーグは妻アン(Anne)とともに水上飛行機シリウス号に乗って北太平洋横断飛行の途上で日本に立ち寄りました

そして アル・カポネ(Al Capone 1899-1947)です。

べーブ・ルースは大のビール好きとして知られ、禁酒法時代でもビールを愛し、二日酔いで試合に出場して本塁打を放ったという伝説を持っています。ルースはドイツ系移民の両親のもとで生まれており、ビールが身近な存在でした。

マフィアであるアル・カポネをヒーローと呼ぶのは語弊があるかも知れません。

このボルサリーノハットを流行らせたのはカポネだと言われています

禁酒法時代にシカゴを拠点に巨大な犯罪シンジケート(シカゴ・アウトフィット/The Chicago Outfit)を運営し、暗黒街に君臨しました。具体的には密造酒販売・売春業・賭博業の犯罪組織を取り仕切りました。カナダからの密輸、販売ルートの確立を組織的に行い、数千軒に及ぶ「もぐり酒場(Speakeasy)」を経営しました。

編集長

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年間の収益は6200万ドル(現在の貨幣価値に換算すると8億3千万ドル)にもなったと言うデータが残っています。

酒販売の再開に新たなビジネス機会を見出すものも登場しました。

後の35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy/1917 - 1963)の父親であるジョセフ・ケネディ(Joseph Patrick Kennedy Sr./1888- 1969)は、禁酒法廃止直前に英国からのスコッチ・ウィスキーの独占輸入販売権を取得(禁酒法時代は密輸も行い)巨額の富を築きました。

ケネディはルーズベルト大統領の息子を通じて英国のチャーチル首相(Sir Winston Churchill/1874-1965)とも知遇を得、その後自らが関与する鉄道会社の未公開株の譲渡などの便益を与えることで、この権利を獲得したといわれています。

この禁酒法は結果的に アメリカをクラフトビールの国にする大きな転機になりました。

禁酒法以前、アメリカには数千の小規模な醸造所があり、多様なスタイルのビールが造られていました。しかし、禁酒法によってそのほとんどが廃業に追い込まれました。解禁後、生き残ったのは資金力のある巨大メーカーのみで、バドやミラーに代表される大量生産に向いた「ライトラガー」に特化しました。

この「薄くて味のないビール/Weak and tasteless beer」が数十年に渡りアメリカを支配したことが、反動となり、後のクラフトビール革命の種火となりました。 

いまさら聞けないクラフトビールの基本

「IPA 」と書いて「アイピーエー」と読みます。

18世紀末、インドがイギリスの植民地(COLONY)だった時代、インドに滞在するイギリス人にペールエールを送るために造られた。海上輸送中に傷まないよう、防腐剤の役割を持つホップを大量に投入したため、香りと苦みが非常に強いのが特徴です enjoy

禁酒法時代、人々は自宅で密かにニアビール(Near Beer/低アルコール飲料)を加工したり、麦芽エキスを使ってビールを自作したりしました。
この「自分で工夫して造る」という精神は、1970年代のジミー・カーター(James Earl "Jimmy" Carter Jr/1924-2024)大統領はアメリカで禁止されていた家庭でのビールの自家醸造を1978年に解禁、後のクラフトビール醸造家たちの原点となりました。


このようにしてアメリカ西海岸ではどんどんクラフトビールを作るホームブリューワリー(Homebrewery)、そしてマイクロブリュワリー(Microbrewery
が増えていきました。そして、IPAをはじめとするアメリカらしい味わいのビールを作ったり、ヨーロッパのヴィンテージなビールを復古させたりしながら、独自のクラフトビールムーブメントを創り上げていきました。
これが東海岸にも飛び火し、現在の世界各地におけるクラフトビール旋風につながったのです。1972年にアメリカのクラフトビールムーブメントにおいて重要なできごとが起こりました。

オレゴン州で、アロマホップ「カスケード」(Cascade)が誕生したのです。

カスケードホップという名前は、アメリカ合衆国の西海岸を貫く雄大なカスケード山脈(Cascade Range)に由来しています。

ホップはビールに苦味や独特の香りを与えると共に、雑菌の繁殖を抑えてビールを長持ちさせる重要な原料の一つなのですが、この「カスケード」ホップはフローラルな香りと柑橘系の強い苦味が特徴。そして、この「カスケード」ホップを使ったIPA(Indian Pale Ale)はイギリスがインドを植民地にしていた時代に誕生したペールエールです。

シカゴの名店 Hopleaf 

https://hopleafbar.com/

ABOUT:1992年の創業以来、シカゴにあるホップリーフはクラフトビール愛好家の聖地として愛されています。

Part.3 へ続く