4月15日の「TajiJarnal」でポートランドの旅をご提案していますが、なぜ ポートランドがクラフトビールの聖地になっていったのでしょう? 3回に分けて深堀解説〈Dig it〉します。

その歴史的背景を考察していきましょう。

アメリカは広大な分、大きないくつも都市があり、その都市にそれぞれキャラクーがあるのが面白い

ピッツバーグ(Pittsburgh)は「鉄鋼の街」、

デトロイト(Detroit)は「自動車の街」

ニューヨーク(New York)は 「ブロードウエーの街」「金融の街」 

ロス(Los Angeles)は ハリウッド、「映画の街」、

シカゴ(Chicago)は「犯罪の街」(今は違います)

そして ポートランドは 「DIY(do it yourself)の街」と呼ばれるようになっていきましたが、近年では「クラフトビールの街」の方が有名です。

このDIYの文化は ビールを自宅で作ると言うホームブリューイング(home brewing)文化にピッタリでした。

なぜ ポートランドがクラフトビールの聖地になったか?を紐解く前に 時計の針を100年前に戻します。

時は1920年代

1920年代 アメリカにはテレビはありません。もちろん 世界中にもありません。

ラジオは1920年11月2日に放送を開始したばかり、ラジオがニュースメディアとしての地位を確立するのは1920年代の後半です。

20世紀初頭に発明されたラジオの前身である拡声器(商品名/マグナボックス)(出典:wikimedia commons

唯一のメデイアは新聞(newspaper)でした。新聞はアメリカ人にとって 知性そのものでした。政治 経済 スポーツ 民衆は新聞からの情報を楽しみにして暮らしていました。

アメリカ人は情報の全てを新聞から得ていました。

それも1紙だけでなく、一人で数紙購読していたというデータも残っています。

その背景には広告が洗練され、新聞社は広告から巨額の収益を得るビジネスモデルを確立したからです。生活の変化を反映し、自動車、家電、タバコなど、新製品の広告が大量に掲載されました。 

編集長

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そこに参入したのが タブロイド(tabloid)新聞です。

19世紀末にイギリスで小型判型の大衆紙(ゴシップやスキャンダル報道など)が登場しました。 

アメリカ人にとって イギリスは上品なイメージ、なんと言っても「GENTLEMAN」のお国です。そのイギリスが「エロ グロ ナンセンス」の新聞を購読している。アメリカ人にとって衝撃の事実でした。

いまさら聞けないクラフトビール基本の「キ」

日本で最初に誕生した地ビール(クラフトビール)は?

日本で最初に誕生した地ビール(クラフトビール)は、1995年に新潟県で生まれた「エチゴビール」です。エチゴビールのラベルには「全国第一号地ビール」と言う称号がしっかりと輝いています。

エチゴビールの創業は1995年2月(1994年12月に醸造免許取得)https://echigobeer.com/

そのタブロイドが1920年代の後半 アメリカにも持ち込まれました。

そこに飛びついたのが アルコール産業でした。

禁酒への空気が蔓延していたため 大手の新聞はアルコール産業の広告を積極的に扱うことができなかったのです。

ビールの製造・運搬はシカゴやニューヨークのギャングが支配する違法事業となり、タブロイド紙は「ビール戦争」などの抗争を熱狂的に報じました。

さらに タブロイド紙は禁酒法がもたらした暴力や法の軽視を広く伝え、結果的に禁酒法廃止の世論形成に影響を与えたとされています。

禁酒法は、意図せずして窃盗、暴行、殺人の急増を招きました。

1926年までに、年間1万2000件以上の殺人事件が発生し、国の殺人率は10万人あたり約10人という高水準に達しました。

また、ギャング同士の銃撃戦は良い記事になり、部数を伸ばすのに貢献しました。アメリカ合衆国は第一次大戦に参戦したことで 国内に変化が生じました。それが禁酒法成立への加速です。

大戦前から禁酒運動は始まっていましたが、運動は禁酒によって穀物を節約し、前線の兵士に送ると言う機運が一気に高まりました。

もう1点、アメリカのビール製造業は その大半がドイツ系でした。

戦争の敵国はドイツです。〈ドイツ=悪〉と言う構図がいみじくも生まれました。

ドイツ系のビール醸造業に打撃をあたえるという主張によっても「禁酒法」は正当化されました。

結果 天下の悪法 禁酒法(Volstead Act/正式にはNational Prohibition Act/国家禁酒法)が1920年可決されました。(その後、禁酒法は14年続きました。)

この時代 アメリカにはその後のアメリカの歴史を変えたという3人のヒーローが現れます。

いまさら聞けないクラフトビール基本の「キ」

禁酒法が解禁になり、大手ビールメーカーの躍進が始まった。

敵?

バドワイザー?

「バドワイザーの起源」について,アンホイザー・ブッシュ社内で長く 語り継がれてきた「逸話」がある。

アドルファス・ブッシュ一族の当主になったアドルファスト(Adolphus Busch) とセントルイスの友人カール・コンラッド (Carl Conrad)

かつて Bohemia で知られていたチェコ・スロバキアのある地方 を旅行していた。彼らは,小さな町の修道院で一夜の宿を得た。

そこでドルファスは,修道士たちによって醸造されているビールに強い関心を持 ったので,そのレシピとイースト,同ビールをセントルイスで醸造する権利を与えるように頼んだ。アドルファスがその時アイスリームの冷凍ボックスに入れて大西洋を越えて持ち帰ったイーストは,現在も同社に大事に保管されているという。」

実際,アドルファスとカールは新しいビールを醸造し,それをセントルイス郊外のカールの高級レストランで顧客に提供したが,当初からプレミア ム価格で発売されたそのビールは評判が良かった。そこで,Anheuser− Busch Brewing Company は C. Conrad and Company から1882年に同ビ ールの製造権を買取り」Bohemian brewer のライト・ビール “Budweis” にちなんで “Budweiser” というブランド名を1891年に買取り,更にそれ を1907年,米国特許局に正式に商標登録した。

資料引用 「アンホイザー・ブッシュ社の経営史」山口一臣(成城大学)

Part.2〉へ続く

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