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加地争論 KACHI SOURON!! -第三回「IS THAT REAL JUDGEMENT?」-

TRANSPORTER BEER MAGAZINE No.10(2016)

2022年 11月 14日 10時 02分 投稿 205 Views
日本にクラフトビールが誕生し、およそ20年が経とうとしている。成長と衰退を繰り返しながら今後何年も何十年もかけて成熟していくのだろう。その中で今回は国内でのコンペティション(品評会)にフォーカスしようと思う。

 国内でのコンペティションは大きなものから小さなものまで知る限りで1996 年頃から始まり今日いくつか存在している。コンペティションの種類も厳密なガイドラインに沿ったもの、ガイドラインを基準としながら官能(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚など)や主観を重視した曖昧なもの、また、ジャッジの好き嫌いだけで判断するものと多様だ。

 そんなコンペティションの結果がビールの専門店、小売店、ビアイベントでの売れ行き等に最も大きく影響したのが今から10年ほど前だろうか。ビアバーなどでは金賞受賞ビールをズラリと並べる特集が組まれたり、メーカーのホームページから受賞ビールが数分で姿を消す売れ行きだったり、ビアイベントでは受賞ビールに長い行列が出来たりと、多大な影響を与えていた。

 では今日ではどうだろう。コンペティション自体は行われているが、その影響力は一時期程では無いと感じるのは否めない。では何故だろうか? 私自身が思うのは、そのジャッジメントに正当性があるのか疑問を持つ人が増えた事、受賞時のクオリティーを保てない事が2 つの大きな要素なのではないだろうかと考える。

 「正当性があるのか疑問を持つ人」は主に商品を扱う立場にあるビアバー関係者、小売店関係者などにあたる人達の事だ。彼らの中には自らコンペティションのジャッジに参加しその中身を知るものも多い。そして我々ブルワーも然り。中身を知った上で、自らの店舗で特集を組まなくなったりするところを見ると、その中身がどんなものなのかを如実に語っている。受賞の際、おそらく本当に出来が良かったであろう作品が、クオリティーが保てずに酷い出来上がりだったとしても冠を背負ったただの客寄せパンダとしてその後売られ、消費される現実があるのを危惧している。

 具体的に言うとジャッジの種類も様々で、しっかりとした資格保有者から、ブルワー、時には単なるビアファンやボランティアと幅が広い。もちろんジャッジへの参加資格が厳密なものもあるがそうでもないのも存在する。その中にはありがたい事に高額なセミナー費用を払ってまでしっかりと基礎を作ってジャッジに挑むビール愛に満ちた人達もおり、そのような機会を与える団体や彼等のような人達が居てくれるおかげで日本においてもコンペティションが行えている。ただ、問題なのはジャッジ人口の少なさ。その人口不足の中、現在100 種類程も存在するビアスタイル1項目それぞれを正当に評価出来る人が何人いるのだろうか?

 例を挙げよう。国内では解禁当初本当に多くのメーカーが製造していた“アルト”。そもそも“ アルト”なのか色だけが同じでアメリカンエール酵母なんかで造ってしまっている似非アルトを製造していたメーカーが存在したかも分からない時代に、ガイドラインを作成した側の意図に近いジャッジメントを下せるジャッジが何人も居たとは思えない。 それはガイドラインの意図に近い基本となる“アルト”を飲めるチャンスが圧倒的に少ない為だ。ガイドラインが基準となるコンペティションにおいては、印象、各項目の基準値などが記載されているが、例えば感覚的な表現で「モルティー」「クリーン」などと書いてあったとしても何を持ってモルティーなのか、クリーンなのか人によって勿論違う。これらについては数々のビールを経験する事でしか養えない感覚であり基準となるようなビールと自らの感覚、そしてガイドラインとの擦り合わせ作業を地道に行わなければならないからだ。

 100 種類程ものビアスタイルにそこまでの感覚を持っている人が存在するのだろうか。少なくとも代表的なスタイルのみについて分かる人がごく僅かに存在するだけだ。私自身そんな感覚は持ち合わせていないし、小心者だから人様のビールを評価するなどとそんな大それた事はとても出来ない。

 ジャッジメントのテーブルに着いた時、とあるスタイルについて飲んだ事も無ければ全くその感覚も持ち合わせないスタイルが出て来たとしたら、その人はガイドラインの文字を自分の感覚にすり替えて勘だけでジャッジメントを下さなければならなくなる。また、実際にジャッジした人に聞いた話では、せっかく複数人で得点をつけたのに最終的にリーダー的存在の鶴の一声でジャッジが覆った事だってあると言う。そんな事が実際に起こっているのだから信憑性を疑うのも仕方がない。

 またとあるコンペでは出品数もジャッジも少なく、最終的には毎回同じようなスタイル、ブルワリーが受賞している事が多い。なぜなら最終判断は主催者を中心とした同じようなメンバー少数に委ねられるからだ。凝り固まった主観と好みによってジャッジされるのだから出品者はたまったものではない。そんな状態ならば出品しなければ良かった…と思うのは自然な事だろう。

 実はこの記事を書いている最中、私自身もジャッジをする機会があった。横浜で行われたJAPAN BREWERS CUP 2016 だ。ジャッジは3年以上のブルワー経験者のみで、ジャッジングの方法も極めてシンプル。

 「好きか嫌いか、良いか悪いか」だ。

 実際にテーブルに並べられた作品のレベルは嬉しいことにかなり良いレベルのものがほとんど。そしてジャッジについては審査方法とは異なり非常に難しかったと感じた。

 結果をみると流石にビール製造の従事者だけあって評価は揃っている事が多かった。ブルワーですらこんなにも難しいジャッジ。実際に使用する原料、製造工程や製造中の様々なメカニズム、ロジカル、各工程におけるビール・発泡酒の変化、それらを知らない人々がジャッジする事が難しいと言う事は仕方ないと言ってしまえばそれまでになってしまうかもしれない。

 未成熟ではあるがコンペティションの果たす役割は商業的にみても、ブルワリー・ブルワーのモチベーション維持、業界の成長には欠かせない非常に大きな存在と言える。だからこそメーカーは最低限美味しいビールを造り、それを継続しなければならないし、売り手もそれをきちんと提供しなければならない。その先にようやく美味しいビールが飲める・買える店が増え、ビアファンが増え、興味を持つ人が増え、健全にクラフトビールが成長するのではないだろうか。

 コンペティションを開催している団体・個人の方々には、より正当にジャッジが行える環境を整え、適正なジャッジの出来る人材を育成し続けてもらえるようになる事を切に祈ります。いつか日本のコンペティションが世界から注目されるような素晴らしいものになる事を願って。

加地 真人
MAKOTO KACHI
留学先のカナダにてクラフトビールに出会い開眼。帰国後、木曽路ビールに入社。2014年よりY.MARKETBREWING の醸造長に就任、醸造開始から一躍人気ブルワリーとなる。
     

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