Beer was a mirror reflecting the economy—human evolution and the Industrial Revolution in the 20th century, and the craft beer that emerged in their wake.

クラフトビールとは、20世紀という時代が最後に生み出した「人間らしさへの回帰」だった。

クラフトビールの歴史を語るとき、多くの場合、1970年代のアメリカから話が始まる。

ホームブリュンイングの復活 。小さなブルワリーの誕生。 IPAの復権。 そして、1980年代以降のクラフトビール革命。 しかし、それだけではクラフトビールがなぜ生まれたのかを説明するには不十分だ。 クラフトビールは、ある日突然現れた「新しいビール」ではない。 その背景には、20世紀を通じて人間が経験した、 工業化、都市化、戦争、大量生産、大量消費、グローバル化、技術革新、所得の向上、そして「自分らしいものを選びたい」という消費者意識の変化 がある。 言い換えれば、 クラフトビールとは、20世紀という時代が最後に生み出した「人間らしさへの回帰」だった。

ビールは産業革命以降「店でつくるもの」から「工場で大量につくるもの」へ変わっていく。

⸻ 1900年代 ビールが「産業」になった時代 1900年代初頭、世界のビール産業は大きな転換点にあった。 それまでのビールは、基本的に地域の飲み物だった。 水、麦、ホップ、酵母。 その土地で手に入る原料を使い、その土地の人間がつくり、その土地で飲む。 ところが、19世紀後半から20世紀にかけて、冷却技術、酵母管理、瓶詰め、鉄道、蒸気機関、そして工場生産技術が発達する。 ビールは「店でつくるもの」から「工場で大量につくるもの」へ変わっていった。 ここで重要なのが、ラガービールの存在だ。 低温で発酵させるラガーは、品質を安定させやすく、大量生産との相性が良かった。 工場で同じ味をつくる。 遠くの街まで運ぶ。 大量に販売する。 この仕組みは、近代資本主義の成長モデルそのものだった。 「より多く、より早く、より安く、より均一に。」 ビールもまた、工業化の波に乗ったのである。

ビールは単なる嗜好品ではなく、 大戦を経て、国家政策によって左右される「経済商品」 になっていく。

第一次世界大戦の戦線に立つドイツ兵の若者たちを描くNetflix映画『西部戦線異状なし』

⸻ 1910年代 戦争がビールを変えた 1914年、第一次世界大戦が始まる。 戦争はビール産業にも大きな影響を与えた。 原料が不足する。 輸送が制限される。 政府が生産や価格を管理する。 そして、戦争が終わった後も世界経済は安定しなかった。 ビールは単なる嗜好品ではなく、 原料、エネルギー、物流、税金、労働力、国家政策によって左右される「経済商品」 になっていった。 日本でも1901年にビール税法が制定され、1906年には業界再編が進み、1908年にはビール製造免許に必要な最低製造量が引き上げられた。 小さな醸造所にとって、これは大きな壁だった。 つまり日本でも20世紀初頭から、 「大きくなければビールをつくり続けられない」 という構造が生まれていた。 (ビール酒造組合⁠)

1920年、アメリカでは禁酒法が始まる

⸻ 1920年代 アメリカから「ビール」が消えた 1920年、アメリカでは禁酒法が始まる。 アルコールの製造・販売・輸送が禁止された。 ビール産業にとって、これは壊滅的な出来事だった。 多くの醸造所が閉鎖し、一部はモルトや食品など別の事業へ転換する。 しかし、ここに後のクラフトビールにつながる「意外な種」が残った。 それが、 ホームブルーイング文化 だった。 ビールを自分でつくる。 レシピを考える。 原料を試す。 発酵を研究する。 つまり、ビールが「工場の商品」ではなく、 個人が自分の手でつくる文化 として地下で生き残ったのである。

⸻ 1930年代 大恐慌と大量生産 1929年、世界恐慌が始まる。 失業。 企業倒産。 消費の減少。 ビール産業も打撃を受けた。 しかし、その後の世界は再び「大きな工場」を求めていく。 大量生産できる企業。 大量に雇用できる企業。 大量に販売できる企業。 大量生産は経済成長の象徴になった。 1933年、アメリカの禁酒法が終了する。 人々は再びビールを飲み始める。 しかし、禁酒法以前の多様なビール文化がそのまま復活したわけではない。 むしろ戦後のアメリカでは、 「大量につくれて、安定していて、誰にでも飲みやすいビール」 が市場を支配していくことになる。

ビールは自由市場の商品ではなく、国家によって管理される商品になった

https://www.brewers.or.jp/outline/mebo.html

⸻ 1940年代 第二次世界大戦と「効率」の時代 第二次世界大戦は、ビール産業にもさらなる効率化を求めた。 原料の制限。 輸送制限。 金属不足。 労働力不足。 日本でも戦時中にはビール製造や流通への統制が強まり、1940年にはビール製造免許に必要な最低製造量が1,800KLへ引き上げられた。 1943年には流通統制も始まる。 ビールは自由市場の商品ではなく、国家によって管理される商品になった。 (ビール酒造組合⁠)

戦争は人類に多くの悲劇をもたらした。 しかし同時に、技術革新も加速させた。 冷却。 輸送。 缶。 瓶。 衛生管理。 大量生産。 品質管理。 20世紀後半のビール産業を支えた技術の多くは、こうした工業化の進展と無関係ではない。

⸻ 1950年代 「豊かさ」とビール 戦争が終わる。 そして世界は復興へ向かう。 1950年代から1960年代。 アメリカ、日本、ヨーロッパでは経済成長が進む。 人々の所得が増える。 冷蔵庫が家庭に入る。 自動車が普及する。 テレビが普及する。 スーパーマーケットが増える。 人間の生活そのものが変わった。 ビールも変わる。 家庭で冷えたビールを飲む。 テレビを見ながら飲む。 車で郊外へ行く。 大量の商品をスーパーマーケットで買う。 ビールは「日常生活の豊かさ」を象徴する商品になった。 日本でも1955〜1965年の高度経済成長に伴ってビール需要が急速に伸びたとされる。 (ビール酒造組合⁠) ここで、人間の価値観が大きく変わる。 「生きるために飲む」から、 「豊かに暮らすために飲む」 へ。 ビールは生活必需品ではない。 だからこそ、経済成長とともに市場が広がった。

⸻ 1960年代 「便利」と引き換えに失ったもの しかし、経済成長には副作用もあった。 世界中で企業の大型化が進む。 小さな醸造所は、大企業との価格競争で苦しくなる。 技術革新によって生産効率は上がる。 流通網が整備される。 テレビ広告によってブランドが全国へ広がる。 結果として、 「どこでも同じ商品が買える」 ことが当たり前になっていった。 これは消費者にとって便利だった。 しかし同時に、 「どこで飲んでも同じ」 という世界も生まれた。 実際、20世紀のビール産業では、醸造所の統合・買収・廃業が進み、地域ごとの多様性が失われていった。

ベルギーでは1900年に3,000以上あった醸造所が1980年には143まで減少したという研究もある。 (Choices⁠) 効率は経済を成長させる。 しかし、 効率は必ずしも文化を豊かにするわけではない。 ここが、クラフトビールの物語にとって重要なポイントになる。

「もっと違うビールを飲みたい。」 「昔のビールをつくりたい。」 ここからホームブルーイング文化が大きく動き始める。

⸻ 1970年代 「自分でつくる」という革命 1970年代。 アメリカでは、すでに大量生産型のビール市場が成熟していた。 多くの消費者にとって、ビールは軽く、均一で、飲みやすいラガーが中心だった。 そこで一部の人間が考える。 「もっと違うビールを飲みたい。」 「昔のビールをつくりたい。」 「自分でつくってみたい。」 ここからホームブルーイング文化が大きく動き始める。 1978年、ジミー・カーター大統領が家庭でのビール醸造を連邦レベルで合法化する法案に署名。 1979年2月1日から施行された。 同じ時期、チャーリー・パパジアンらがAmerican Homebrewers Associationを立ち上げる。 (National Museum of American History⁠)

「消費者が再び生産者になれる」 という革命だった。

これは単なる法律改正ではなかった。 「消費者が再び生産者になれる」 という革命だった。 ⸻ 1980年代 ホームブルワーがブルワーになる ここからクラフトビールの本当の革命が始まる。 ホームブルワーたちは、既存のビールを再現するだけでは満足しなかった。 ホップを増やす。 麦芽を変える。 酵母を変える。 発酵温度を変える。 新しいスタイルをつくる。 そして、自宅のガレージから小さな醸造所へ進んでいく。 Ken Grossmanが始めたSierra Nevadaも、その象徴的な存在だ。 彼は中古の乳製品設備などを活用しながら小さな醸造所を立ち上げ、1980年にPale Aleを初めて醸造した。 (National Museum of American History⁠) ここで重要なのは、 クラフトビール革命の主人公が「大企業の経営者」ではなく、消費者から生産者になった人々だった ということだ。

Great American Beer Festival

https://www.greatamericanbeerfestival.com/

⸻ 1980年代後半〜1990年代 ビールが「文化」になる 1982年、Great American Beer Festivalが始まる。 1984年にはMicro-Brewers Conferenceが開催される。 1996年にはWorld Beer Cupが始まる。 (Brewers Association⁠) ビールは単なるアルコール飲料から、 評価するもの、語るもの、学ぶもの へと変わっていく。 「このホップは何か?」 「この酵母は何か?」 「水質は?」 「発酵温度は?」 「どこのブルワリーなのか?」 ビールを飲む人間が、ビールについて学び始めた。 これは消費者の進化でもある。

⸻ 1990年代 日本に「地ビール」がやってくる そして、日本にも大きな変化が起きる。 1994年。 酒税法が改正され、ビール製造免許に必要な年間最低製造数量が2,000KLから60KLへ大幅に引き下げられた。 それまで事実上、大手メーカー中心だったビール製造に、小規模事業者が参入できるようになった。 (全国地ビール醸造者協議会⁠) 全国に「地ビール」が生まれた。 しかし、最初からすべてが成功したわけではない。 一時は全国で約300か所もの地ビール製造所が誕生したが、ブームはやがて沈静化する。 (キリンホールディングス⁠)

これは日本のクラフトビール史において、とても重要な経験だった。 「ブルワリーをつくれば売れる」わけではない。 設備だけではない。 ビールの品質。 ブランド。 販売力。 飲食店との関係。 地域との関係。 そして何より、 「なぜ、このビールをつくるのか」 というストーリーが必要だった。 ⸻ 2000年代 クラフトビールは「商品」から「体験」へ 21世紀に入り、クラフトビールはさらに変わる。 IPAが世界的に拡大する。 Imperial IPA。 Sour。 Barrel-aged。 Belgian-inspired。 そして後にはHazy IPA。 ビールのスタイルそのものが急速に広がった。

しかし、本当の変化は味だけではない。 ブルワリーそのものが目的地になる。 Taproomが生まれる。 Beer Festivalが生まれる。 ビールツーリズムが生まれる。 ブルワリーの周辺にレストラン、ホテル、ショップが集まる。 つまり、 ビールが「街を訪れる理由」になった。

2010年代 ローカル経済とクラフトビール クラフトビールはさらに地域経済と結びついていく。

⸻ 2010年代 ローカル経済とクラフトビール クラフトビールはさらに地域経済と結びついていく。 地元のホップ。 地元の麦。 地元の果物。 地元のレストラン。 地元のアーティスト。 地元の音楽。 ブルワリーは単なる製造工場ではなく、 地域のコミュニティセンター になっていった。 ここでクラフトビールは、20世紀初頭のビール産業とは正反対の方向へ進み始める。 20世紀前半: 「大きくすることで強くなる。」 21世紀: 「地域とつながることで強くなる。」 この違いは非常に大きい。 ⸻ 2020年代 そして「次のクラフトビール」へ 現在、クラフトビールは新しい課題に直面している。 原材料価格。 エネルギーコスト。 人手不足。 物流。 人口減少。 競争激化。 そして、消費者のアルコール離れ。 つまり、 「良いビールをつくれば売れる」 という時代ではなくなっている。 これからのブルワリーには、 製造業としての能力だけではなく、地域経済をつくる能力 が求められる。 農業とつながる。 観光とつながる。 飲食店とつながる。 音楽とつながる。 映画とつながる。 アートとつながる。 海外のブルワリーとつながる。 そして、人と人をつなぐ。

100年を振り返ると、ビールは人間そのものだった

⸻ 100年を振り返ると、ビールは人間そのものだった 1900年代。 人間は「大量につくる」ことを覚えた。 1910年代。 戦争によって国家と産業の関係が強くなった。 1920年代。 社会は大量消費へ向かいながら、禁酒法によってビールそのものが制限された。 1930年代。 大恐慌が経済の脆さを見せた。 1940年代。 戦争が技術と効率を加速させた。 1950年代。 経済成長によって「豊かに飲む」時代が始まった。 1960年代。 大量生産・大量流通が世界を均一化した。 1970年代。 人々は「自分でつくる」ことを取り戻した。 1980年代。 ホームブルワーがプロのブルワーになった。 1990年代。 クラフトビールは世界へ広がった。 2000年代。 ビールは文化になった。 2010年代。 ビールは地域経済になった。 そして2020年代。 ビールはもう一度、 「何のためにつくるのか」 を問われている。

⸻ クラフトビールは「反大手」ではない ここを誤解してはいけない。 クラフトビールの歴史は、大手ビールメーカーとの戦争ではない。 むしろ大手メーカーがつくった技術、物流、衛生管理、冷却、缶、瓶、品質管理、マーケティングがあったからこそ、クラフトビールも成長できた。 クラフトビールは、 大量生産を否定したのではなく、大量生産だけでは満たせなくなった人間の欲求に応えた。 それが、 「もっと個性的なビールを飲みたい」 「この街でしか飲めないものが欲しい」 「誰がつくったのか知りたい」 「生産者と話したい」 「地域を応援したい」 という欲求だった。 だからクラフトビールは、資本主義への反抗ではない。 むしろ、 資本主義が成熟した結果として生まれた、新しい消費の形 なのかもしれない。

ビールは、人間がつくってきた。 しかし同時に、 ビールが人間の社会を映してきた。

⸻ そして、次の100年へ 20世紀の経済成長は、 「大きくすること」 を成功の基準にした。 大きな工場。 大きな企業。 大量生産。 大量流通。 大量消費。 しかし21世紀は、少し違う。 小さくてもいい。 遠くまで売らなくてもいい。 その街でしか飲めなくてもいい。 100万本売れなくても、1万人のファンがいればいい。 むしろ、 「誰がつくり、誰が飲み、どんな地域にお金が戻るのか」 が重要になっている。 それはクラフトビールが100年以上かけてたどり着いた、ひとつの答えなのかもしれない。 ビールは、人間がつくってきた。 しかし同時に、 ビールが人間の社会を映してきた。 工業化すれば、ビールも工業化する。 戦争が起きれば、ビールも影響を受ける。 経済が成長すれば、ビールの消費も変わる。 人間が豊かになれば、味を選ぶようになる。 そして、人間が「自分らしさ」を求め始めれば、 ビールも個性を取り戻す。

クラフトビールの歴史は、 醸造技術の歴史ではない。 人間が「効率」から「個性」へ、 「大量」から「多様性」へ、 「消費」から「体験」へ、 そして「商品」から「コミュニティ」へ進化してきた歴史 である

だからクラフトビールの歴史とは、 単なる醸造技術の歴史ではない。 それは、 人間が「効率」から「個性」へ、 「大量」から「多様性」へ、 「消費」から「体験」へ、 そして「商品」から「コミュニティ」へ進化してきた歴史 でもある。 一杯のビールの中には、100年の経済史が詰まっている。 そして次の100年。 クラフトビールが向き合うべき問いは、 「どんなビールをつくるか?」 だけではない。 「どんな社会を、この一杯からつくるのか?」 なのではないだろうか。

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