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植竹的視点 -「表現型としてのビール作り それに至る思想」-

2022年 11月 14日 10時 04分 投稿 57 Views

 最近、うしとらブルワリーのある栃木県下野市では市役所の庁舎が移転新築されたのだが、半年ほど前からその工事の様子をよく見ていた。なにもない更地の上に土台が作られ、みるみる内に建物が建てられていくさまを日々見ながら、蜂が巣を作る様子とよく似ているな、なんてことを考えていた。またブルワリーではホップやゴーヤ、ナス、ジョロキアなどなど様々な作物を栽培しているのだが、それらの植物が蔓を伸ばしたり、大きく葉を広げたりする様子もまた、建築や蜂の巣作りと似ているなー、などと思慮にふけっていたりもした。そんな折、ある映画を見たときにセリフのひとつが耳に入り、とある本のことを思い出した。耳に入ってきたセリフは“個体が作り上げたものもまた、その個体と同様に遺伝子の表現形である” というようなものなのだが(このセリフだけでなんの映画か分かった人とはかなりいいお酒が飲めそうな気がするので、分かった方はご一報下さい)このセリフは元々リチャード・ドーキンスによって書かれた“利己的な遺伝子”という本からの引用である。

 利己的な遺伝子の初版は1976年ともう40年も前の本だが、ベストセラーにもなっているし、日本でもかなり話題になった本なので読んだことがある方もいらっしゃるのではないだろうか。自分は学生時代バイオテクノロジーと呼ばれるものを学んでおり、生物学、化学、微生物学、そしてもちろん遺伝子工学も学んでいた。なんて書くと仰々しく思えるかもしれないが、実際にやっていたことはバイオテクノロジーのイメージとは程遠いキノコの栽培研究なので、遺伝子工学や分子生物学はどちらかといえば専門外なのだが。そもそもバイオテクノロジーとはバイオ=“生物”を利用したテクノロジー=“技術”と定義されるので、それこそキノコ栽培(聞こえが悪いかもしれないが、キノコは植物や動物ではなく、カビなどの微生物の仲間であり、栽培には微生物関連の技術が使われる)や酵母を利用した酒造りやパン作りは実はバイオテクノロジーそのものだ。話が逸れたが学生時代の遺伝子工学の授業で講師に紹介され“利己的な遺伝子を”読んだわけである。

 利己的な遺伝子という本自体はそのタイトルの通り、利己的遺伝子論を一般向けに分かりやすく書き下ろした本で、内容的には今回の話とは直接関係はないのだが、非常に面白い本なので興味のある方は読んでみてほしい。古本屋に行けば高確率で100円コーナーに並んでいるはずだ。問題は本の中に書かれている“個体が作り上げたものもまた、その個体と同様に遺伝子の表現形である”という一文である。要約すると、遺伝子によって体の形質が決まるというのはご存知だと思うが、蜂やクモの巣作りのように教えられずとも、生物が自然に作り出すものもまた、遺伝子によって決められる云々、というようなことだ。

 ブルワーはビールを作る遺伝子を持っており「表現形としてビールを作っている!」と言う様な単純な話ではないのだが、人間は他の生物と比べて明らかに物を作ることによって“表現”をすることの多い生き物だ。先の例のような蜂やクモの巣作りは当然個体の生存の確立を上げるために行う“表現”であり、生存の確立が上がるということの先には己の遺伝子の複写が出来る確率が上がる。つまりは子孫を残せる確率が上がるということ。しかし、人間が作り出すありとあらゆる“表現”のほとんどは実際のところ直接的には個体の生存確率の向上にはつながらない。ただし利己的遺伝子論によれば、その“表現”が多くの個体の、さらに言えば異性の関心を引けば結果的に子孫を残せる確率が上がり、結果己の遺伝子の複写を残せる確率が上がる、だから自分がより注目されるように、思い思いの方法で表現を行う、という様に解釈される。利己的遺伝子論に関しては異論も多く自分も全て正しいと思っているわけではないのだが重要なのはそこではないのでトランスポーターでは割愛。

 冒頭の話に戻れば、建物を建てるためには必ずデザインが必要となる。それはどこかの建築家の表現に他ならないし、現場で実際に建設をする人たちはその技術こそが表現となる。という感じで、人間の行動にはほぼ常に表現という行為が付きまとっている。もっと分かりやすい例を挙げれば、音楽や絵画、執筆などだ。そういえばそういった表現を行う人って異性からモテますね。とはいえ残念ながら人間はそこまで単純な生き物ではないので、経済状況や容姿や社会状況などによって、どれだけ表現を行っていようとモテなかったりもするわけですがそれもまた生存競争。

 生物は同じ種であろうと違う遺伝子を持っている。私とあなたの容姿が違うように遺伝子もまた異なっている。遺伝子が異なるということは、その“表現”も個によって異なるということだ。そして、人間は非常に高度な知識や技術を持っているが故に表現が他の生物より圧倒的にバラエティに富んでいる。持って生まれた形質に頼るだけではなく、ある人は音楽で、またある人は料理で、言葉で、そしてビールで、と自分の好みの手段を使ってありとあらゆる事象を自由気ままに表現するように遺伝子に刻み込まれている。もちろん遺伝子だけの話ではなく、自身が関わってきた環境や経験によっても大きく変わる。つまり“人の好みは人それぞれ”なのだ。ただそんな当たり前のことを再確認して証明するためだけに、ここまでの長ったらしい小難しい文章を書いた。

 これでようやく“人の好みは人によって異なる”という当たり前すぎることが前提に話を進められるわけだが、人間社会というのは面白いものでそんな生物として当たり前の多様性を押さえつけ画一的にしようとする傾向がある。人と同じことが良しとされ、異質なものは白い目で見られ、叩かれ、排除され、殺される。本来人間が生物として持ち得ている多様性を考えれば、これはものすごく不自然なことのはずなのだが本能の 上に被さる理性と呼ばれるものによって、または何らかの思 惑によって見事にコントロールされてしまっている。残念なこ とではあるが国という単位で見たときに日本という国は特にそ の傾向が強い。しかしながら、その画一的にしようと押さえ つけようとする動きすら、誰かの利己的な遺伝子の表現形だ とすると・・・なんてことを考え出すと夜も眠れなくなりそう なのでやめておこう。人間はそんなに単純な生き物ではない らしい。

 とはいえ、ここ最近は幸いなことに画一的にしようとする動 きに陰りが見えてきている。マス向けのモノはNOを突き付け られ多くのモノがどんどん売り上げを落としている。大量生産、 大量消費という考え方から脱却して丁寧に少量ずつ作られた ものを自分の好みに合わせて選択するというのは近年急速に 浸透しているライフスタイルだ。これは正にクラフトビールの 隆盛とマッチしている。もちろんビールに限らず周囲を見渡 せばそんな空気を随所に感じられるだろう。40億年受け継が れた遺伝子が持つ多様性は、人間ごときが作り上げた薄っぺ らで画一的な幻想なんてものともせず、ひたすらカオスに引 き戻そうとしているに違いない。

 自分がいままで出会ってきた人達のなかで、強く影響を受 けた人というのはどうもそうやって己の遺伝子に忠実に生き ている人が多い気がする。ビールに関連する人ではなくとも、 どの世界にもそんな人達は存在するし、たいていの場合強烈 なヴァイブを放っている。ミュージシャン、プログラマー、陶 芸家、プロギャンブラー、農家、たまたま出会った旅人、排 水処理の業者さん、ブルワー、職業も性格もバラバラだが、 どこか共通する空気というか目の奥に凛とした確固たるもの があるように感じられた。不思議と言葉も例え方も違うが、 たどり着いている答えは同じことのように感じられるのだ。そ してすべての人が世間一般から見ると変人に分類される人達 だった。

 そんな人達が作り出すものはやはり面白い。好きか嫌いか ということは置いておいて、強烈に独創的な創造物は魂に訴 えかける何かを持っており受け取る側の心を揺さぶる。問題 は受け取る側がオープンでなければそれらはただの変なモノ にしか見えないことだ。強烈なプレッシャーで押しつぶされた “個性的であろうとするマインド”では壊れて音がひび割れた スピーカーで音楽を聴くようなもので、本来その音楽が持っ ているポテンシャルを感じることなんてできるはずもない。思 考をフラットにして、自然に受け入れるようにすれば今まで見 えなかったものがたくさん見えてくる。

 そんなビールの飲み方もあるのではないだろうか。単に美味しい、美味しくないの二元論だけではなく、作った人間が 何を考えて、どんなことを表現しようとしたものなのか考えな がらビールを飲めば、今まで見えなかった多くのことに気付く だろう。ビールに限らずだが、例えば料理にしても少し注意 深く観察すればその料理を作った人がどんな人なのかという のは結構感じられるものだ。器の選び方、盛り付け、味付け などなど、たった1品の料理から得られる情報はたくさんあっ て、なんとなく“几帳面な人なのかな”とか“たぶんこの料 理にあまり自信がないんだろうな”とか想像しながら食事をす るのは結構楽しいし、より深くその料理を“味わう”ことにな るのではないだろうか。あとはあなたの嗜好によって、好きな ものを選べば良いだけだ。あなたと私は違うという前提に基 づけば、誰もあなたの嗜好を否定する権利はない。でも、違 うからこそ似たような嗜好と出会った時の喜びは大きいのだ。

 なんだか難しそうに聞こえるかもしれないが意外と誰でも やっていることで、例えば“あの店はちょっと高いけれど、雰 囲気が好きだから、そこで買い物をする”なんていうことは 誰にでもあるだろう。そういう理屈ではなくフィーリングで感 じる好みを突き詰めていくと、単に“モノ”で選ぶだけでなく “コト”で選ぶという結果にたどり着く。クラフトビールが他 よりもちょっと有利なのは、作っている人の顔が見えるし、ブ ルワーと会って直接話をすればその思想がダイレクトに聞け ることだ。思想でさらに深いところまで行き着けば遺伝子(!!) で選ぶなんてのもまたクラフトビールの選び方のひとつでは ないだろうか。“あの人が作っているからあの人のビールが好 き”なんてのはビールの選び方としては、一見稚拙に見える かもしれないが余計なものに捕らわれない最高に純粋な選び 方なのではないだろうか。

 ただし混同してはいけないのは表現しようとしていることの 崇高さと、完成度の高さは比例しないということ。いかに素 晴らしいことを表現しようとしていても、技術を磨かずにうま く表現が行えていないのであれば、やはりそれは人の魂を揺 さぶるに足りないものにしかならないだろう。しかし、先にあ げた自分に強烈な影響を与えた人達で技術不足を感じた人達 は一人もいなかった。技術を極めんとしてたどり着く領域な のかはわからないがどうやら自然とそうなっているらしい。

 まずは思考をフラットしよう。他人から聞いたことやネット で見た情報を鵜呑みにするだけではなく自分が感じて毛穴か ら吸収した情報はなによりも純粋であなたにとって価値のあ るものに違いない。その情報を元に本能で、遺伝子で様々な ことを選択できるようになればきっと明日は今日よりもちょっ と楽しい。なんていうのも、あくまでただの植竹的視点。なに しろ私とあなたは違うのだから。違うということは素晴らしい。

HIROMI UETAKE
植竹 大海
COEDO BREWERY にて醸造長を勤めた後、現在はうしとらブルワリーの醸造長を勤める。湘南ビール、箕面ビール、バラストポイント、コロナド、ハーフエイカー、スクーナーイグザクト等国内外の有力なブルワリーとのコラボレーションを積極的に行いグローバルな活動を展開。日本のクラフトビール界を牽引するサムライブルワー。
※TRANSPORTER BEER MAGAZINE No.12 より掲載
     

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