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植竹的視点 Season2 -もしかすると “ビールを作るのは難しい” という時代は終わったのかもしれない-

トロントからの現地リポート

2022年 11月 14日 10時 04分 投稿 324 Views

今年は世界的な暖冬のようで、寒いことで知られるここトロ ントでさえあまり雪が降っていません。数日雪が降り続いて積 もっても、そのあとに続く暖かい日々で雪が溶け、道がビシャ ビシャという街の様子が続いています。そういえば今季は日本 でもずいぶんと雪が少ないというニュースを目にしました。雪 が少なければ交通への影響も少なく、良いことばかりのように 思えますが、スキー場など雪を観光資源にしている地域にとっ ては重大な問題ですね。それに雪が降って景色が真っ白になっ たときの、ある意味で諦めに近いような、ゆったりとした時間 が少ないというのもまた寂しく感じるものです。つい2年前に はほとんど雪が降らない場所に住んでいたのに、今では雪が 降って街が真っ白に染まるのを心待ちにするようになってしま いました。季節によって気持ちに緩急ができるというのは、厳 しい北の国に住むことの良さのひとつなのかもしれません。雪 の少ない公園で元気に遊ぶリスたちをよく見かけほっこりとし た気持ちになることもありますが、自身はなんとなく心落ち着 かない日々を送っています。

さて、突然ですが皆さんはビールがどのように作られている のか、具体的にご存知ですか?なんとなく「麦とホップを原料 として、発酵させたお酒」というイメージをお持ちの方が多い と思いますが、具体的な製法まで踏み込むとご存じない方が多 いのではないでしょうか。過去にあまりビールに詳しくない方 から「小麦粉を水に溶いて、そこに酵母入れればビールになり ますか?」という質問を受けたことがあります。その時は少し 笑ってしまいましたが、冷静に考えてみればビールの造り方な ど気に留めることなどあまりないでしょうし、調べてみてもな んだか難しいことばかりが書いてあることが多いので、果たし てどのようにビールは作られているのかイメージするのは難し いかもしれません。先の質問をした方も、今にして思えばなか なか鋭いことをお考えだったのだなと感心しています。遠から ず、ですね。

お酒を含む発酵食品は、摩訶不思議で神秘的とも言える微生物の力を借りて作られる訳ですが、顕微鏡が発明される以前と 違い、現代においてはしっかりと科学のメスが入り、発酵とは 即ち微生物の働きによるものと分かっています。科学的に現象 を説明するということは、つまり “人に理解できるように現象 を翻訳する” ということに他なりません。もちろん非常に複雑 な働きによるものですから、現段階で全てが解明されているわ けではありませんし、簡単に理解できるものでもありません。 それでもビールを作る上で最低限の情報はすでに翻訳されて (注:日本語に、という意味ではありませんよ!)いつでも容 易に手に入れることが出来ます。

いわゆる世界的なクラフトビールの隆盛が起こり、大きく変 化したことは単に市場に出回るビールに多様性が生まれたとい うことだけではありません。大手ビールメーカーが独占してい たような醸造技術や情報が、多くのブルワリーやホームブル ワーによって公開され、共有と検証が繰り返されています。イ ンターネットの発達に伴って、今やビールを作るための基本的 な情報は簡単に手に入るようになったわけです。いい時代にな りました。

私がビールを作り始めた十数年前には、教科書と呼べるよう な醸造の本も限られており、インターネット上でも有益と言え るような情報は極僅かでした。その僅かな情報を頼りに試行錯 誤を繰り返したり、あるいは海外のブルワリーを訪れて製法を 直接聞いてみたり、非常にアナログなことをやっていました。 当時と比べれば今やインターネット上の情報は質も量も比べ物 にならない程ですし、クラフトビールの教科書と呼べるような 基礎がみっちりと書かれた本も出版されています。すわ、最近 の若者は簡単に情報を手に入れてけしからん!苦労しなさい! なんて言うつもりは毛頭ありません。時代の流れですから、道 具も情報も有益なものは積極的に取り入れて使うべきです。

ここで今回のタイトルに繋がってくるのですが、もはやこれ だけビール作りに関する情報が簡単に手に入るのであれば、美 味しいビールを作るのは難しい、という考えは改めなければな らないでしょう。少なくとも基本的なスタイルのビールを、ガ イドラインに忠実に再現するということに関するハードルは、 ものすごく下がっていると感じています。問題が起きたときの トラブルシュートもかなり体系立てて説明されていますし、今 や美味しくないビールが出来てしまう理由は技術不足というよ りは、知識、情報不足が主たる原因ではないでしょうか。それ ほどまでにビールというのは情報で作る、ちょっとひねた言い方をすれば情報で作れてしまうお酒なのです。

皆さんこんな経験はありませんか?新しいブルワリーが立ち 上がり、どうやらブルワーは醸造経験者ではなさそう。しかし 醸造を始めるやいなや高品質でびっくり。あっという間に人気 ブルワリーの仲間入り、と。こんなことはカナダでも割とある 話ですが、日本でも同じようなことが起きているのではないでしょうか。これの意味するところは、先に述べた通り、醸造を始める前にしっかりと勉強すれば、実地の経験がなくとも高品 質のビールを作り出せるという証明でしょう。ただ、誤解なき ようになのですが「 情報があるから誰でも簡単に美味しいビー ルが作れる」 と言っているわけではありません。基本的な醸造 に関する知識を頭に叩き込むだけでも相当な勉強量になります から、はじめから美味しいビールを作り出せている人は、即ち かなりの努力を重ねた結果だということは間違いありませんか らね。

さてさて、魔法のように思われていたブルワーの知識や技術 へ、容易にアクセスできるようになった昨今のこの状況は、基 本的には良いことですよね。以前と比べて、ブルワリーは単に 美味しいビールを作るということに関してはハードルが下がっ ているわけですから。ところがブルワー、あるいはブルワリー にとってはこの状況は少しばかり大変なのです。クラフトビー ル先進国であるアメリカを例に上げて見てみると、未だにブル ワリーは増加し続けているものの、すでにクラフトビール自体 は供給過多となっており、経営状況の悪化したブルワリーが廃 業したり、大手に買収されたり、あるいは身売りをしたりとレッ ドオーシャンの様相を呈してきているのです。その上もはや新 興ブルワリーであろうと美味しいのは当たり前で、その上で他 社とは違う個性がなければ生き残ることが出来ない市場になっ てしまいました。この状況を受け、ブルワーやブルワリーは独 自の技術や、個性的足らしめる情報を隠すようになってきてい ると感じられるのです。最近とあるブルワーから直接教えても らったことでも「ネットには書かないでね」と釘を刺されたこ とがありました。

これにはちょっとびっくりしてしまいましたが、状況を鑑み れば当然のことでしょう。情報をシェアすればするほど全体の レベルが上がって、よりクラフトビールが盛り上がると言われ ていたのは数年前までで、一部のブルワー達は声にこそ出さな いものの、心のなかでは思うところがあるのではないでしょう か。何しろ「 個性的なビールの作り方」 なんてインターネット で調べても答えはそこにはありませんからね。

恐らく遠くない将来、日本でも同じことが起こるでしょう。 その時に生き残るためにはと、シビアなことを考えなければい けない時代になってしまったようです。どんなことだって答え は一つとは限りませんからね。

それではまた次号でお会いしましょう。

植竹 大海(UETAKE HIROMI)
Godspeed Brewery のブルワー。
あまり一箇所に定住せず、あっちフラフラこっちフラフラしながら世界各地でビールを作る放浪ブルワー。
座右の銘は風の吹くまま気の向くまま。
※TRANSPORTER BEER MAGAZINE No.26(2020) より掲載
     

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