transporter

植竹的視点 Season2 -絶対に忘れちゃいけないのは、ビールは酵母が作るということ-

2022年 11月 14日 10時 04分 投稿 347 Views
 すでに雪降る富良野からこんにちは。ここ数年はずいぶんと初雪が遅かったようですが、この原稿を書いている11 月中旬現在は順調に雪が降りはじめています。北国に住んでいると雪というのはなかなかに厄介なものでして、辛く長い冬の到来をまさしく象徴するものなのですが、どういう訳か初雪はいつも嬉しく感じるものです。憂鬱なはずなのにどこか心はずみ、久々の雪道を少し緊張しながら運転するのも、また楽しくもあります。

ビールについてのコラムだということを忘れていました

 さて、今回は久しぶりにビールのお話をしようと思います。思い返してみればトランスポーターの創刊号からずっと続いている本コーナーですが、元々はビールのことについて書いているコラムだったはずです。それがいつの間にやら、小難しい哲学のような話になったり、自身の話になったりと、内容があちらこちらと迷走し、最近ビール作りのことを書いていない!と気付いてしまったのです。それはそれで私自身書いていて楽しくもあり、また書くことによって頭の中を整理できる良い機会にもなっていた訳ですが、トランスポーターはビールの雑誌ですしね。ブルワーが書くビール作りについて、という原点に立ち戻り、今回は酵母についてのお話をしたいと思います。

身近だけど意外と知らない酵母のこと

 ビールの4大原料とはすなわち、水、麦芽、ホップ、そして酵母です。水は当然のこととして、除く3つの原料の内でもっとも我々の生活と密接に関わっているのは間違いなく酵母でしょう。麦芽はビールやウィスキーなどのお酒に使われることがほとんどですし、ホップに至ってはビール専用と言っても過言ではない農作物です。対して酵母はビールを含むありとあらゆるお酒に必ず関わっている微生物です。パンやピザ、お菓子類、日本人に馴染み深い味噌や醤油やお漬物、さらには健康食品や調味料などなどなど、かなり多種多様な発酵食品に関わりを持っています。もしかすると、酵母が関わっている食品を口にしない日は無いかも?というくらい人間の生活に密着している微生物なのです。

結局の所、酵母はなにをしているの?

 なぜこんなにも沢山の種類の食品に酵母が使われているかというと、酵母の糖類を食べて炭酸ガスとアルコールを作り出すという特徴が人間にとって有用だからに他なりません。例えばパンやピザ生地は小麦粉を練って酵母で発酵させた後に焼き上げる訳ですが、生地を酵母に発酵させることで炭酸ガスを作り出し、生地を膨らませ、ふんわりとした食感に仕上げている訳です。酵母で生地を発酵させずにパンを作ることは理論上可能ですが、恐らくそれはずっしりと重く、ボソボソとした食感のパンになってしまうでしょう。

 ビールを含む、お酒類の発酵において酵母が果たす重要な役割はもちろんアルコール発酵です。お酒の種類によって使用される酵母は異なるのですが、糖類を食べてアルコールを作り出すという働きに違いはありません。ちなみにビールはシュワシュワとして炭酸がその特徴でもありますが、ワインや日本酒などどんなお酒も発酵中は酵母が作り出す炭酸ガスが溶け込んでいますので、微発泡な味わいです。最近は発酵中の炭酸ガスをそのまま溶け込ませたスパークリング日本酒も人気ですし、濾過を行わない濁り系の日本酒は微発泡性のこともありますね。少し製法は違いますが、スパークリングワインは言わずもがな。炭酸ガスは爽快な喉越しを作り出す一端を担っていますので、お酒に爽快感をプラスするには良い材料なのです。当然ながらその恩恵を一番受けているのはビールですよね。

ビールは酵母によって作られる

 酵母が糖類を分解してアルコールと炭酸ガスを作り出すことによって、ビールになるというのは基本的なこととして、発酵中の酵母の働きはそれほど単純ではありません。酵母が糖類を食べるのは自分自身の生命維持、あるいは繁殖の為であって決してビールを作るために糖類を食べてくれている訳ではありません。人間が砂糖だけを食べて生きられないのと同じように、酵母も糖類だけでは生存することができません。糖類以外にタンパク質や脂質なども代謝しながら生きています。そういった酵母の生命維持の働きの中でビールにとっては好ましくない味わいや香り、つまりオフフレーバーを生み出してしまったり、逆にオフフレーバーとなる物質を取り込んで無味無臭の物質に変えてくれたりと(専門用語ではこのような働きをレストと呼びます)様々な代謝を行っています。

 人間が糖類を食べてもアルコールを作り出せないのと同様に、オフフレーバーをビールから取り除くのは容易な工程ではありません。大変アナログなように感じられますが、酵母にレストしていただくのが一番効率の良い方法なのです。たまにブルワーの仕事はビールを作ること、なんて言うこともありますが、それは本当は正しくないですね。ビールを作るのはブルワーではなく、酵母です。それを忘れてはいけません。

ブルワーは酵母のお世話係

 結局の所、ブルワーの仕事は「酵母に快適に働いていただけるよう、その環境を整えること」と言えるかもしれません。仕込みは酵母のお食事をいかに美味しく用意するか、という工程ですし、発酵の現場であるタンクが汚れていれば雑菌が混入してしまい、酵母は快適に働くことができません。温度や水質をコントロールするのも、酵母が無茶をし過ぎないように適度なリラックス感を与えながら仕事をしてもらうため。逆にあえてストレスを与えることでビールの香り成分であるエステルやフェノールの量を増大させられたりと、酵母と対話しながら発酵を管理することでようやく目指す味わいを達成することができます。

 たまにビールはレシピがすべてで、良いレシピがあれば良いビールが作れるなんて言う方もいらっしゃいますが、私はそれについては正しくない意見だと思っています。どんなに良いレシピがあろうとも、酵母がきちんと働いていなければ良いビールになることはありません。ある意味ではレシピそのものよりも、発酵管理の技術の方がビールの味わいに影響を与えるウェイトとしては大きいかもしれません。いえ、大きいと断言します。

酵母の表情が分かるくらい、酵母と触れ合いましょう

 こんなことを書くと笑われるかもしれませんが、酵母には表情があります。ニコニコ笑っている、という意味での表情ではなく、匂いや色、照りツヤ、顕微鏡で観察したときのサイズや形などでおおよそ酵母の健康状態が分かります。というよりも、毎日毎日観察していると分かるようになってきます。健康な酵母を使用しなければ健全な発酵はありません。酵母の健康管理も大切なブルワーの仕事の一つです。

 私は10数年間ビールを作り続けていますが、いま改めて酵母の働きの重要性を痛感しています。ついつい新種のホップや新しいテクニックに目が行きがちですが、それらの土台となる発酵こそが良いビールを作る上で最重要なことなのではないかと、今更ながらに再確認いたしました。酵母がビールを作る、という揺るぎない事実を忘れなければ謙虚なビールづくりが続けられるような気がしています。

 それではまた次号でお会いしましょう。

植竹 大海(UETAKE HIROMI)
Godspeed Brewery のブルワー。
あまり一箇所に定住せず、あっちフラフラこっちフラフラしながら世界各地でビールを作る放浪ブルワー。
座右の銘は風の吹くまま気の向くまま。
※TRANSPORTER BEER MAGAZINE No.29(2021) より掲載
     

その他の記事